タイの夜に駆ける

タイの夜遊びを知ってから20年通い続けました。

彼女と過ごした3回目のパタヤ旅行

前回のお詫びもかねて、彼女に金のネックレスをプレゼントしました。
金を贈るのは、いつでもバーツに還元できるからです。
還元できるものを贈っておけば、生活の足しになると考えていました。
この旅では帰りのバスが高速道路で故障し、2時間ほど缶詰め状態となりました。
日本に帰れなくなったら困ると悩んでいましたが、
他の乗客はまったくあせりもなく、2時間過ぎたところで別のバスがやってきて
乗り換えました。
このころはバンコクの路上バーが全盛期で、アソークの路上バーで酒を飲むことが
楽しかったことを記憶しています。

彼女と過ごした2回目のパタヤ旅行

2回目の彼女とのパタヤ旅行では、
友人のノイさんを紹介されました。
彼女はパタヤのゴーゴークラブのママさんをしていて、
英語がとても得意です。
彼女の右目上のあざは客の白人に殴られたとのことで、
大変そうな仕事でした。
相変わらずまったり過ごし、ビッグCでゲームをしたり、
ターミナル21で映画を観たりして過ごしました。
バンコクに戻って、大げんかをしました。
彼女が友人をホテルに呼びたいと言い出し、
私が明日帰国するので二人でいたいと言い、
彼女が不機嫌になり、喧嘩となりました。
結局彼女の友人はやってきたのですが、
なんとなく盛り上がらず、もやもやとした別れとなりました。
その後、3人でイサーンクラブに行って、わだかまりもなくなり、
楽しく過ごしましたが、少しのことで別れにつながることも有り得ます。
この頃はまだバカラで働いていたので、
彼女は疲れ切っており、わがままな部分も多かったように思います。

彼女と初めてパタヤに行く

ホアヒン旅行を終え、彼女とパタヤに行くことにしました。
この頃から彼女一筋になり、ゴーゴーバーに行くこともなくなりました。
ホテルのプールや部屋でのんびり過ごしました。
まだ彼女はバカラで働いていたので、
昼間はベッドでまったり過ごします。
ゴーゴーバー嬢はとにかく睡眠不足なのです。
ラン島に行っても彼女は寝てばかりいました。
夜になって、ディスコに行ったり,食事に行ったりしました。
彼女の親戚がパタヤにいるので、ナンヌアルで総勢6名で食事をしたりして、
できるだけ彼女の知人や親せきと会うようにもなっていました。
定宿はソイ2のサイアムサイアムデザインホテルとなり、
その後はパタヤでは毎回、このホテルに宿泊するようになっていました。
最後の夜に彼女の友達を含めて5人でジョムテイエンビーチに食事に行きましたが、
伝票が10万を超えていて、ギョッとしました。
これは隣の大人数のテーブルの伝票を間違えて持ってきたことが判明したのですが、
タイではこうした間違いが頻繁に有ります。